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6月15日三位一体主日礼拝説教 エフェソの信徒への手紙 1章 3~14節 「神とキリストと聖霊」

今日の箇所エフェソの信徒への手紙1章の4節にこのようにあります。


 「天地創造の前に、神はわたしたち(人々)を愛して、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました」


 これは、創世記にある神による天地創造の出来事の前に、つまりこの地球、または宇宙が作られる前に、神はその創造によって造られる人々を愛しておられた、ということです。さらに神はせっかく造られるその人々を、聖なる者にしようと、キリスト、救い主を用いて、その人々をお選びになった、というのです。


 ですのでわたしたちは生まれる前から、さらに言えば天地創造の前から、造られ誕生することが計画されていて、その造られる神様によってと、救い主のイエス様によって聖なる者に選ばれた、というのです。

 

 ものすごいスケールの話ですが、この箇所で注目したいことは、天地創造の前に神はおられた、存在していた、ということ、それから救い主もおられたということ、これが「神と子」の関係となっています。


 そして今日の箇所の後ろ13節にはこうあります。

 「あなたがた(人々)もまた、キリストにおいて、(救い主において)、真理の言葉、(すなわち)救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです」

 人々は、また、キリスト、救い主によって救いの福音が与えられ、それを信じることとなった。それは言い換えれば、人々は、救い主、キリストから出た聖霊によって証印、印鑑を押され、信じることとなった、ということです。

 

 先ほど、4節のところで、「わたしたちは天地創造の前から神様と救い主のイエス様によって、聖なる者に選ばれた」と言いました。それにこの13節を組み合わせますと、こうなります。


 天地創造の前から、神様と救い主イエス様に加えて、聖霊があって、その聖霊は救い主イエス様から出て、わたしたちは証印、印鑑を押されて、信じる者、聖なる者に選ばれた」ということです。


 「神とその子と、さらに聖霊」という3つの関係が天地創造の前から、あって、人々に働きかけた、ということです。

 

 そしてこの3つによってわたしたち人々は「聖なる者」に選ばれた、ということです。

 

 では、この「聖なる者」というのは何でしょうか?

 今日の箇所で「汚れのない者」と言い換えられていますが、他の聖書箇所(テサロニケの信徒への手紙)によりますと「情欲におぼれない者」、「隣人愛を行う者」ということです。

 

 ですので「神と子と聖霊」によってわたしたち人々は天地創造の前から「聖なる者」、「情欲におぼれない者」、「隣人愛を行う者」としてあり続けてきた、ということです。

 本来はそのような者としてわたしたちは誕生した、ということです。


 このように見てゆきますと、実は、ものすごいスケールであることが分かります。

 神のご計画はわたしたちが生まれるもっともっと前から、天地を作られる前からあって、すでにその時に救い主イエス様の存在もあって、救い主イエス様は聖霊を用いて、わたしたちが聖なる者となるために働いてくださった、ということです。


 こうして今、わたしたちが、生きて歩むことができているのは、この神様と救い主イエス様と聖霊によるということです。

 

 以前も少しご紹介したことがありますが、こどもさんびかの中に、誕生日に歌う歌があります。このような歌です。

 「産まれる前から 神様に 守られてきた 友達の 誕生日です おめでとう」


 「産まれる前から神様に守られてきた友達」という内容です。

 この「産まれる前から」は、先ほどの天地創造の前から、ということと同じで、歌詞全体としては、神様、救い主イエス様、聖霊によって守られてきて、そして誕生した後も、同じように守られてきた、ということです。


 このエフェソの信徒への手紙はこの大きなスケールを語っているのです。


 そもそもこのエフェソの信徒への手紙は誰によって書かれたのかと言いますと、1節に「キリスト・イエスの使徒とされたパウロ」とあるのでパウロということですが、実際にはパウロか、そのパウロではなく彼の弟子か、分かっていません。

 しかしながらいずれにしてもパウロは関係しています。


 彼は、その1節にある通り、以前はそうではなかったのですが「キリスト・イエスの使徒とされた」者でした。キリストを信じる者、言い換えれば「聖なる者」とされたのでした。

 特に彼は「聖なる者」でも、「隣人愛を行う者」とされたと言うことができます。

 なぜなら、以前の彼は、多くのキリスト信者と敵対していたファリサイ派というのに属して、そのキリスト信者を迫害していたのです。彼ら以前、迫害という隣人愛どころかその逆を実践してしまっていたのです。


 福音書でファリサイ派の人々が救い主イエス様を迫害したのと同じように、パウロもしていたのでした。


 その彼が、救い主イエス様と出会って、この救い主のような生き方に変えられた、「隣人を愛する者」へと変えられたのでした。

 

 その彼は以前の迫害していた時を振り返り「(当時の自分は)塵あくた(であった)、損失(出会った)と見なしています」と、フィリピの信徒への手紙で語っています。このように「塵あくた」から「聖なる者」へ変えられたのでした。


 今日の箇所エフェソへの手紙の7節を見ますと「わたしたちはこの御子である救い主イエスにおいて、その血によって贖われ、罪を赦されました」とあります。

 パウロは救い主によって贖われて、以前の罪の自分から変えられた、と語ります。

 そしてさらに8節では、この「赦されたこと」、「変えられたこと」を、「恵み」と表現しています。

 

 神様、救い主イエス様、そして聖霊、この3つの働きによって、パウロは、そしてわたしたちを含む人々は、守られてきたということです。その守りはこれからもあり続けるのです。

 

 お祈りいたします。

 

牧者の祈り


 天の神様、あなたの導きをいただき、先週も恵みのうちに歩ませていただきました。あなたは救い主イエス様と聖霊によってわたしたちを創造の前から愛して、大切にしてくださり、今に至っても同様に愛してくださっています。

 わたしたちは今、そのあなたの愛を感じています。あなたに感謝いたします。

 教会員、関係者のために祈ります。

 一宮にお住まいの、Kさんは施設での生活を続けておられます。周りに仲間がおられ、職員がおられ、食事やお風呂などが整えられて生活ができていますが、中々、心が満たされることがないとのことです。

 神様どうかKさんに聖霊によって慰めをお与えください。いつも喜びを感じられるように導いてください。

 イスラエルとイランの間で、攻撃が続けられています。背景には核爆弾の問題があります。

 それを含め、全て平和を脅かすものです。攻撃をするのではなく、話し合いによって問題を解決する方向へと、双方を導いてください。

 剣を持つものは、武器を持つものは、それによって滅びる、と聖書は語ります。

 攻撃すれば、必ず、自分に、自分の国に帰ってきます。

 そのため、今日にでも事態が治ることを願います。


 この小さなお祈りをイエス様のお名前によって、お捧げいたします。


 アーメン。


一人ひとりの祈りの時を持ちましょう。(しばらく黙祷しましょう。)


 神さま、わたしたちの祈りを聞いてください。このお祈りをイエス様のお名前によって、お捧げいたします。 アーメン。

 
 
 

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