7月27日聖霊降臨節第8聖日礼拝説教 使徒言行録 19章 11~20節 「神、イエスと共に歩む」
- 西川 幸作
- 7月30日
- 読了時間: 7分
本日の聖書箇所は、パウロという人がどれだけ神様と繋がっていたか、イエス様と繋がっていたかがわかる箇所です。
神様と繋がるとは、どういうことかと言いますと、神様を信頼している、言い換えれば、神様を信仰している、ということです。ですので繋がりが強ければ強いほど、信仰深いということになります。
パウロは神様とどれだけ繋がっていたのか、どれだけ信仰深かったのか、またイエス様とどれだけ繋がっていたか、どれだけ信仰深かったか、ご一緒に見てゆきたいと思います。
パウロはアジア州という現在のトルコの西側にある地域、その地域にあるエフェソという港街で、神様、イエス様のことを人々に伝える宣教活動をしていました。
エフェソはこの地域の中心地で、人口は25万人もいたと言われています。また様々な宗教がありました。
パウロが活動した時代、紀元後約40年では、ユダヤの地域にあったユダヤ教はすでにこのエフェソにも伝えられていました。また当時の支配者であったローマ皇帝を崇拝することが求められつつあったり、ギリシア神話由来のアルテミスという偶像の神を信じる宗教もありました。
さらには今日の聖書の箇所に出てきます魔術的なもの、まであったのです。今日の箇所で「祈祷師」という表現されているのはこの魔術的なものを取り扱う人のことで、呪文を唱えていたと言われています。
パウロはこのような街で宣教活動をしました。
と言いましても、実はパウロが主体的にするのではなく、神様が主となってパウロを用いて宣教活動するということでした。今日の箇所の最初11節にはこうあるとおりです。
「神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた」
「パウロ」が主語ではなく「神」様が主語になっていまして、パウロはその「神」様に用いられる形で奇跡を行った、ということになります。
パウロ自身ではなく神様が主体である、ということが強調されています。
さらに「目覚ましい奇跡が行われた」とありますが、これはどういうことかと言いますと、12節にある通りです。
「彼(パウロ)が身につけていた手ぬぐい(現代のタオル)や前掛け(エプロン)を誰かが持って行って、病人に当てると、病気はいやされ、悪霊どもも出ていくほどであった」
パウロの身につけていた手ぬぐい、前掛けというものによって、病気の人がいやされ元気になり、その病気の原因であった悪霊どもも出て行った、というのです。
これはかつて、病気の人がイエス様の着ている服の裾に触れたとき癒やされた、ということがありました。このことと同じ様な奇跡です。
もちろんパウロがではなく、神がパウロの身につけていたものを通して病気を癒し、悪霊を追い払ったということになります。
冒頭で伝えましたパウロがどれだけ神様と繋がっていたか、神様を信仰していたかがわかる箇所だと思います。その神様はパウロを信頼してご自身の力を与えているのです。
パウロはこうして宣教していったのですが、このエフェソの街にはパウロ以外にも悪霊を追い出そうとする人々がいたと、今日の箇所は語っています。
その人々とは「ユダヤ人の祈祷師たち」です。今日の箇所の「祈祷師」というのは神様やイエス様ではなく別の宗教、魔術的なものを信じている人のことです。そしてその魔術を使って悪霊を追い出そうとしていたのです。
それも「ユダヤ人の祈祷師」とあるのでユダヤの地域にルーツがあるということになりますが、ユダヤ教ではなく、またイエス様も信仰せず、別の宗教ということです。ただ信仰していませんが、神様とイエス様のことは知っていたようです。
そこでこの「祈祷師たち」は、何と、信じていないのに、その神様とイエス様の名前を用いて、唱えて、悪霊を追い出そうとしていたのです。
あべこべ、と言いましょうか、矛盾している人たちです。パウロの様に神様とイエス様を信じていて悪霊を追い出すのであれば話は分かるのですが、信じていないのにもかかわらず、神様をイエス様を用いようとしているのです。まさに神様、イエス様を自分の物のように扱って、利用しようとしていた、ということになります。
この様な祈祷師たちでしたので、相手の悪霊も「おかしい?」と思います。そして悪霊は祈祷師たちにこの様に質問しています。15節です。
「(悪霊であるわたしは)イエスのこと、パウロのことはよく知っているが、お前たちは何者だ?」
そして、この様に大いに疑問を抱いた悪霊は、祈祷師たちを攻撃し始めます。16節にある通りで、悪霊によって祈祷師たちは傷つけられます。さらに裸にまでさせられ、その場から追い出されてしまうのです。
本来追い出されるべき悪霊に逆に祈祷師は追い出される、という、何とも言えない状況です。
こうして結局、魔術的な祈祷師の活動よりも、神様によるパウロを用いた活動が、残っていった。
このことは街の多くの人々に伝えられました。そして神様とイエス様を信じる人々が出てきたのです。
さらにこの様なことが起こりました。
今までこの祈祷師たちと同じように、魔術的な行いをしてきた他の祈祷師たちは、何と、今まて使ってきた魔術の書物、呪文が書かれていた本を、皆の前で焼き捨てた、のです。
当時、書物、本は1冊ずつ手書きでしたので高価なものでした。それにしても銀貨5万枚に相当する額、日本円では約5千万円になるくらいの量の書物を、一気に捨てたというのです。そして、魔術ではなく、神様とイエス様を信じていったのです。
今日の箇所は、魔術的な人々の未熟さ、あべこべさ、それとは対照的にパウロの神様、イエス様を信じる信仰深さ、が描かれています。
こうしてみますと、神様、イエス様を信じる者は1本の筋が通っていると思えてきます。この筋が細いか太いかはその者次第の様ですが。
神様、イエス様と筋で繋がって共に歩むことができるならば、パウロの様にはなれないとしても、その神様に用いられる者になれるのかも知れません。
神様に用いられる者となれば、その神様は、イエス様は、自分を通して、自分の周りの人々、家族や関わっている子どもも大人も、その人々に、奇跡が起こされてゆくのかも知れません。
神様、イエス様と共に歩んでゆきたいと思います。
お祈りいたします。
牧者の祈り
天の神様、1週間、あなたの導きをいただき、今日まで過ごさせていただきました。毎日の食糧を備えてくださいました。着る物を始め生活に必要なものを備えてくださいました。そしてこうして礼拝を捧げることができています。あなたに感謝いたします。
そんなわたしたちですが、あなたの思いに叶った歩みをしてこなかったと反省し悔い改めます。自分勝手に歩んできました。
大切な隣人のことを思って祈ります。身近な家族のために祈ります。どうか日々平安に過ごせますように、暑い中、体調が整えられますように、導いてください。
教会員、関係者のことを思って祈ります。
美濃加茂の山之上にお住まいのFさんは、ご夫妻で果物を育てる農家です。お二人とも体調を崩されていますが、できる範囲で農作業をされています。今は暑い中での作業です。どうか毎日無事であります様に、導いてください。
7月は岐阜地区を覚える月間です。飛騨高山教会と在日大韓キリスト教会を思って祈ります。
飛騨高山教会では、コロナ対策を緩和され、礼拝はすべて集まる形とオンラインを併行して守ってこられました。その中で、礼拝を大切にしておられる教会員の姿勢が見えて、他の人々への良き証となられたとのことです。礼拝を通して神様の思いを学び、人の生き方を学ぼうとする姿勢です。
飛騨の地で信仰を守り続ける教会をどうか祝福してください。
在日大韓キリスト教会岐阜教会、大垣教会を思って祈ります。昨年10月に「宣教協約40周年記念礼拝」を捧げ、教団•教区を超えて祈りを捧げることができました。それぞれの地で、特に在日韓国・朝鮮人の人々と共に歩んでおられます。人々は文化などの違う日本での生活ゆえに、困難を経験されると思いますが、その人々に寄り添う教会として歩んでおられます。
どうか岐阜教会、大垣教会のその歩みを祝福してください。
この小さなお祈りをイエス様のお名前によって、お捧げいたします。
アーメン。
一人ひとりの祈りの時を持ちましょう。(しばらく黙祷しましょう。)
神さま、わたしたちの祈りを聞いてください。このお祈りをイエス様のお名前によって、お捧げいたします。 アーメン。
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