2025年7月9日(水)祈祷会
- 西川 幸作
- 7月9日
- 読了時間: 3分
聖書静聴・黙想 ヨハネによる福音書 17章19〜26節(新203頁)
(聖書箇所に静かに聴き、黙想する)
彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです。
また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。正しい父よ、世はあなたを知りませんが、わたしはあなたを知っており、この人々はあなたがわたしを遣わされたことを知っています。わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。」
牧師による静聴、黙想、解説
イエス様が弟子ユダの裏切りに遭い逮捕される(18章)直前の箇所です。イエス様はこれから訪れる苦難を前に、大切であり必要な祈りをされました。言わば遺言のような祈りをされたのです。
イエス様は自身が死と復活、昇天をされた後、残された弟子たちが宣教の中心になることから、その弟子たちについて、さらにその弟子たちによって新たに信仰者になった人々のことについて祈りました。
その祈りは、「弟子たちと信仰者たちを一つにしてください。あなた(神)がわたし(イエス)の内に、わたしがあなたの内にいるように」(21節)と言うものでした。この祈りの内容に、神様とイエス様は一つ(一体)、とが言われています。これはヨハネによる福音書の1章で「初に言(イエス)があった。言(イエス)は神と共にあった。言(イエス)は神であった」という文言があり、神様とイエス様が同じ存在(一体)とされていることから、今日の箇所の祈りでも、神様とイエス様は一つ(一体)、ということになっています。つまり、イエス様は地上に降りてこられた神様ということです。加えていうならば、聖霊もここに加えられて、「三位一体の神」。
この「弟子たちと信仰者たちを一つにしてください」と祈る背景には、残念ながら将来、弟子たちの間で、信仰者たちの間で、争いが起こりバラバラになってしまうというイエス様の想定があります。バラバラになると宣教どころではなくなるゆえ、イエス様は「彼らを一つにしてください」と祈りました。それも神様とイエス様が一つ(一体)であるように、一つにしてください」と祈り、彼らはもはや離れることのない強固な一つになることを願ったのです。
これほどの祈りをされたイエス様には、彼ら弟子たちと信仰者たちを大切にする、愛する愛が背景にあると思えます。ただ、この様にイエス様が彼らを愛せるのは、そもそも「わたし(イエス)に対するあなた(神)の愛」(26節)とある様に、神様の愛が先ずイエス様に与えられ、その愛を受けたイエス様だからこそ、彼らを愛せるということなのです。
イエス様がここまでして愛された彼らの中に、時代を超えて、わたしたちも含まれているのではないでしょうか。イエス様にいつも祈られていることを覚えたいと思います。わたしたちもいつも一つでありたいですね。
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