7月6日聖霊降臨節第5聖日礼拝説教 コリントの信徒への手紙 8章 1~15節 「豊かさから貧しさ、貧しさから豊かさへ」
- 西川 幸作
- 7月9日
- 読了時間: 7分
このコリントの信徒への手紙を書いたのはパウロと言われています。パウロは宣教旅行という、聖書の神様とイエス様のことを、まだ知らない各地の人々に伝えることをしました。そこで現在のギリシアに位置するマケドニア地域にある、コリントの街を訪れたのです。このパウロの影響でこの街のギリシア人たちが神様とイエス様を知って、信じるようになりました。
この後、パウロは元いたユダヤのエルサレムへ戻り、そこからコリントの人々のことを思って手紙を書いたのです。これがこの手紙になります。
今日の説教テーマに「貧しさ」という言葉があります。これは、この聖書の時代のキリスト者は貧しかった、というところからの言葉です。
エルサレムの街は大都会で、そこにあった神殿を中心としたユダヤ教は1つの大きな組織でした。信者たちは大きな組織に属して、また、もし何かあれば、その組織の中で互いに助け合っていたのです。
旧約聖書に経済的に貧しい人をもてなす教えがあります。
レビ記19章9節にこうあります。
「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。ぶどうも、摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない」。
それゆえに、ある程度はユダヤ教の信者はこの教えを実践していました。
ところがこの街のイエス様を救い主として信じる人々はどうだったかと言いますと、イエス様を信じることで、このユダヤ教の組織から出なければならなくなった少数の人々、だったのです。
となりますと助け合っていた組織ではなく、全く孤立したような一人一人となり、そこで経済的に貧しい人々は援助されずそのまま、ということだったのです。
これがエルサレムの都会にあるキリスト教会の現実でした。
そこでパウロは今日のマケドニア(ギリシア)をはじめ他の地域にある教会に「エルサレムの教会(の人々)を助けて欲しい、援助して欲しい」と訴えたのでした。
パウロ自身、貧しい生活をしていたこともあり、その様な人々と共に歩むという思想が強くありました。
彼は「コリントの信徒への手紙 一」の12章でこう述べています。
「(体の)一つの部分が苦しめば、全ての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」
苦しむ部分である困難な状況の人と共に歩むことを訴えてきました。
そんなパウロは、今日の箇所で、コリントの教会にもエルサレムの教会への援助をして欲しい、と訴えているのです。
そしてパウロは、訴える方法の一つとして、イエス・キリスト、イエス様の生き方を例えで挙げています。9節です。
「あなたがた(コリントの教会の人々)は、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。(その恵みとは)すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。(主は豊かな人であったのに、苦難を受けて十字架につけられ、貧しくなられた)。それは(実は)主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。(あなたがたが苦難を受けて貧しくなることを主が防いでくださって、あなたがたが豊かになるためだったのです)」
「過ち」というどうしても拭えない貧しい心が人々にはあります。わたしたちを含めて。
けれども主であるイエス様はそれを拭ってくださるために自ら貧しくなってくださった。それで人々は豊かになることができた、ということです。
先日、部落解放祈りの日礼拝でした。上野玲奈牧師をお招きしました。この1日も尊いものでしたが、その翌日、今度は「部落解放センター」主催の「部落解放祈りの日礼拝」が、名古屋新生教会で行われました。その礼拝堂には今年の3月11日にこの世の生涯をまっとうされた石川一雄さんのお写真が飾られました。同時に、石川さんが歩んできた生涯を撮影したビデオが礼拝の中で上映されました。
石川さんは24歳の時に、何もしていないのに女子高生を殺害した罪人とされて、62年間歩まれました。
この石川さんのお姿を想像しますと、社会の縮図のような、まさにわたしたちも属するこの社会に漂う過ちの犠牲者であると感じるのです。わたしの代わりに犠牲となってくださったのではないか。別の表現で言えば、教室という社会の中で、この子がいじめられたことでわたしはいじめられずに済んだ、というようなものでしょうか。
社会の過ちを背負わされた無実の人。わたしはその石川さんの姿は、イエス様の姿と重なるのです。
ゆえにその石川さん、貧しさを知っている石川さんの姿と、そして石川さんのメッセージである「このような冤罪を、そして部落差別を繰り返してはならない」は、同じような境遇にある多くの人々に、慰めを与え、恵みを与えられた、と思えるのです。
パウロは主であるイエス様によって、わたしたちは慰められ恵まれ、豊かになったことを訴えました。
「そのように恵まれたあなたがたは、今、貧しい人々に目を止めて、与えて欲しい」とパウロは語りました。しかしそれで終わらず、パウロはさらに語ります。
それは、「与えることによって結果的に将来、与えたあなたがたにも恵みが与えられる、返ってくる」ということでした。14節を読みます。
「あなたがたの現在のゆとりが彼ら(エルサレムの信者たち)の欠乏を補えば、いつか(将来)彼らのゆとりも、(彼らが将来ゆとりを得て、逆にあなたがたが欠乏することになった時を迎えたならば、彼らが)あなたがたの欠乏を補うことになる。こうして釣り合いがとれるのです」
貧しい人々と共に歩めば、将来、貧しくなった時に、その分、恵みが与えられる、
ということです。「豊かさから貧しさへ、そして、貧しさから豊かさへ」釣り合いがとれるというのです。
中濃教会に連なるわたしたちは、まだまだとは思いますが、すでに能登半島地震や他の災害の被災者のことを覚えて祈ってきました。また野宿者の人々のこと、外国の戦争地に生きる人々のことを覚えてきました。
一方で実は多くの教会の人々から支えられ、祈られてもきました。12月のクリスマスコンサートなどは実際に支援を受けてさせていただいています。
まさにこの様な姿をパウロは今日の箇所で訴えているのです。
共に歩む人々のために先ずは祈り、支援をしてゆきたいと思います。
お祈りいたします。
牧者の祈り
天の神様、あなたの導きをいただき、わたしたちは1週間を過ごすことができました。あなたに感謝申し上げます。わたしたちはそれゆえに体調の思わしくない人のことを思い、あなたの導きがあるように祈ります。
教会員関係者を覚えて祈ります。先日は中濃教会初代牧師のご子息で同じく牧師となられた岩井健作牧師の記念礼拝に参加をしました。健作牧師の連れ合い様をはじめ、健作牧師の妹様、弟様などご家族がおられました。みなさんお元気でした。
この岩井家の皆様が神様と天国の健作牧師に守られて過ごせますように、切に祈ります。
本日から7月の礼拝として、岐阜地区の諸教会、関係団体を覚えます。
岐阜市内にある華陽教会は「ここをみんなに知らせよう」との年度目標を立てられ教会をアピールされました。コンサートを教会で開かれたり、学びの会をされました。それらの活動もあり洗礼を受けられる人々もおられました。この教会と子どもたちのために働く付属のめぐみ幼稚園のことを覚えます。
各務原教会は教会に来られる子どもたちのためにカレーの食事会を始められました。また従来からの食事会が豊かに成されてきたということです。教会が昔から大切にしてきた愛餐を今も守り続け、それによって教会が1つの家族となっている様です。これからもこの活動が続けられます様にお祈りいたします。
この小さなお祈りをイエス様のお名前によって、お捧げいたします。
アーメン。
一人ひとりの祈りの時を持ちましょう。(しばらく黙祷しましょう。)
神さま、わたしたちの祈りを聞いてください。このお祈りをイエス様のお名前によって、お捧げいたします。 アーメン。
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