6月8日ペンテコステ礼拝説教 使徒言行録 2章 1~13節 「争いから平和へ」
- 西川 幸作
- 6月4日
- 読了時間: 6分
更新日:6月18日
イエス様は天国に昇っていかれる直前、弟子たちに向かってこの様に言っていました。
ルカによる福音書24章49節です。
「わたしイエスは、父である神が約束されたものをあなたがた弟子たちに送る」
後で、イエス様は神様が約束されたものを弟子たちに送る、と言うのです。
そう言われてからイエス様は昇天されました。
それから10日後のことです。イエス様が弟子たちに言われた、「神が約束されたもの」が実際にイエス様によって弟子たちに送られたのです。
これは何かと言いますと、、、今日の箇所の2、3節に記されています。
「炎のような舌が別れ別れに現れ、弟子たちの一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ」、このようにあります。
ここにある「炎のような舌」であり、「聖霊に満たされた」の「聖霊」だったのです。
「言葉を語る舌が、炎のように燃えていて、それが与えられた」というのです。
そしてこの「炎のような舌」が一言で「聖霊」と言い換えられています。
「炎」というものは旧約聖書の時代から登場してきました。
神様へのお供物、牛や羊、鶏などは「焼き尽くす」必要がありましたので、動物を祭壇に置いて炎で焼くのです。ですので「炎」は無くてはならないものでした。
また出エジプト記には、モーセが、神様からイスラエルの人々をエジプトから脱出させる使命を受ける際、神様は柴が燃えている炎の中からモーセに語りました。それからモーセとイスラエルの人々がエジプトからカナンの地まで旅をする際、夜中には火の柱を神様が用意されて人々を守られました。
このように「炎」は神聖であり大切なものでした。
この「炎」が再び今日の箇所にも登場しているのです。
ですので「炎のような舌」ということは「とても大切な神聖な舌、神様が語っておられるような舌」ということになるでしょうか。
そして具体的にこの「舌」は何を語ったかと言いますと、5節以下に記されています。外国で生まれてそこに住んでいたユダヤ人たちがエルサレムに帰ってきましたが、もといた外国の故郷の言葉を聞くことになったのでした。
「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。あのイエスという人の弟子たちではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷、国の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラム、メソポタミア、カパドキア、エジプト、アラビア等等、そしてローマから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で、神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」。
弟子たちはガリラヤの人々でしたので、語ることのできるのは、そのガリラヤで使われていたアラム語、もしくはヘブライ語です。
しかし「炎のような舌、神様が語っておられるような舌」を与えられますと、一気に、さまざまな外国の言葉を語ることができた、というのです。とても不思議な力をいただいたのでした。
この国々の中で、注目したい国があります。それはパルティアという国です。今のイラクのあたりから起こり、どんどん領土を拡大してアラビア地域の大国にな離ました。東にはパルティアの大国があったのです。
一方のローマ帝国はどうかと言いますと、この国もヨーロッパ全域、またパレスチナ、小アジア、アフリカ北部まで領土を拡大した大国でした。西にはローマ帝国があったのです。
このパルティアとローマはそれゆえ、しばしばお互いの国の国境付近で戦争をしていました。パルティア軍がローマ軍に勝利することもあったのです。
そのような状況があった中で、パルティア、ローマそれぞれの国からエルサレムの街にやってきた人々がおり、さらに弟子たちが聖霊の力を受けて、パルティアの言葉を語り、ローマの言葉を語ったのでした。
さらに言えば、このパルティアに支配されていた地域の言葉、メディア、エラム、メソポタミアの言葉をも語り、
ローマに支配されていた地域の言葉、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、リビアの言葉をも語ったのです。
弟子たちは対立関係にあった国々の言葉、また支配されている、している関係にあった地域の言葉を語り出したということです。
そうしたら、何が起こるかを推測してみますと、この場で、もしかしたら喧嘩が始まってしまう可能性があったと思えるのです。「我々メディアの地域を支配しているパルティアの国の言葉を聞いて、とても不快だ」、「我々エジプトを支配しているローマの言葉を聞いて、不快だ」と思った人々が何をするかわからない状況です。
しかし、実際そうはならなかったと思うのです。
いやむしろ思わされたのは、この出来事は、、、このようなメッセージがあるのではと思わされたのです。
支配している国の言葉も、支配されている地域の言葉も、平等に登場しています。これは神様のもとでは、支配、被支配という関係はなくて、皆が等しく言葉を語り、生活し、過ごすことができる、というメッセージではないか、と思わされたのです。
この時代に争っていた国々です。その争い、ではなく平和である、というメッセージです。
イエス様の弟子たちはこの平和であるということを伝えるために、神様に用いられ、炎のような舌、話す力、聖霊が与えられたのでした。
本来、舌というのは、言葉というのは平和をもたらすものだ、ということです。
今の時代で言いますと、イスラエルの言葉、パレスチナの言葉、アメリカの言葉、中国の言葉、台湾の言葉、ロシアの言葉、ウクライナの言葉、フィリピンの言葉、日本の言葉というように皆が語り出した、ということです。それは争いから平和へと向かうというメッセージなのです。
全ての国々が上下なく、対等であることが示されています。
平和をもたらす聖霊が注がれたのです。
お祈りいたします。
牧者の祈り
天の神様、あなたの導きによって先週も歩ませていただきました。
あなたに感謝いたします。わたしたちは隣人を思って祈ります。どうか病を癒してください。体調を崩している人に回復をお与えください。
教会員、関係者を思って祈ります。
教会員のKさんが、ご家族で共に訪問されました。みなさんお元気でした。
特に息子さんのお仕事について語り合いました。
これからも良き働きができますように、願います。
それから、ペットとして飼っておられたGちゃんが召天されたと伺いました。天国から見守ってくださいますように、願います。
紛争地域の平和を願って祈ります。
パレスチナ、ガザ地区では、今も多くの命が失われています。イスラエルの攻撃をどうか辞めさせてください。
ロシア、ウクライナでは互いに攻め続けて、終わらない戦いをしています。
どうか平和への想いを抱かせ、終戦へと向かわせてください。
この小さなお祈りをイエス様のお名前によって、お捧げいたします。
アーメン。
一人ひとりの祈りの時を持ちましょう。(しばらく黙祷しましょう。)
神さま、わたしたちの祈りを聞いてください。このお祈りをイエス様のお名前によって、お捧げいたします。
アーメン。
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