6月22日聖霊降臨節第3聖日礼拝説教 使徒言行録 17章 22~34節 「神の子孫」
- 西川 幸作
- 6月22日
- 読了時間: 7分
今日の箇所の主人公はパウロです。このパウロはイエス様の弟子として、世界を旅して、そのイエス様のこと、聖書の神様のことを伝えた、伝道した人物です。
このパウロの旅について、使徒言行録は取り上げています。
今日の箇所、17章ではパウロがギリシアで旅をしたことについて記されています。
まずパウロはギリシア北部にあるテサロニケという街にやってきました。この街には、すでに多くのユダヤ人が住んでいまして、ユダヤ教の会堂もありました。
パウロはそこで、安息日(という休みの日)に行われる礼拝で、神様のことについて、そしてその神様の子どもであり、救い主として歩まれたイエス様について人々に語りました。そして、この語りによって、その場にいたギリシア人などが神様とイエス様を信じてゆきました。
しかし一方で、このように信じてゆく人たちが出てきたことを妬む人々がいたのです。その妬む人々とは、この街に住んでそもそもイエス様を信じていなかったユダヤ人たちでした。彼らはパウロを街から追放しようと試みます。
追放されそうになったパウロは、テサロニケの街を後にすることになりました。
そして次にパウロはべレアという街を訪れます。そこでも同じように語り、信仰者になる人々が出てきたのですが、また同じようにそれを妬む人々が現れ、追放されそうになります。
そこでパウロは仲間の力を借りて、遠く離れたギリシアの南部にあるアテネの街まで向かうことにしたのです。
このアテネの街での話が今日の聖書箇所になります。
パウロには先ほど見てきました通り神様、イエス様のことを伝道してきましたが、逆に追放されそうになる経験がありました。
ゆえにこのアテネでも同様のことになりかねない可能性があったのです。
そもそもこの街ではギリシアの哲学が進んでいました。今日の手前の箇所17節で「ストア派」、「エピクロス派」という言葉が出てきますが、ギリシア哲学のグループのことです。それからギリシアでは地元の様々な神々を信じる宗教がありました。ギリシア神話とよく言われるものです。祭壇に神の像があり、それを拝むというものです。
そのようなパウロにとっては不利な条件の中で、彼は同じように聖書の神様とイエス様のことを人々に伝え始めました。
場所は「アルオパゴス」というアテネにある山というか丘。人々が集まって議論したり話し合ったりするスペースのある場所でした。ここでパウロは人々に語ります。22節以下にある通りで、このパウロの語りを分かりやすくしてお伝えします。
「アテネの皆さん、わたしはあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。その上で、あなたがたが拝んでいる神が、本当はどういうお方なのか、お知らせします。この神は天地の主、神です。人を含む全てのものを作られた方です。一人の人から全ての民族を造り出しました。わたしたちはユダヤ人、ギリシア人ですが、いずれも同じ神の子孫なのです。その神は人が住みやすいように春夏秋冬の季節をお決めになりました。
ゆえにこの神は、天におられ、人の手で造られた地上の神殿にはおられません。また人の手で造られた金の像や銀、銅の像でもありません。さらに自ら造られた人の手を必要とするお方でもありません。
そうすると神は遠くにおられると想像できますが、実はそうではなく、身近にもおられるのです。神は人々の身近で共に歩むために、ある一人の存在を天から地上に遣わしました。
その方には使命がありました。それは、わたしを含む、あなた方を含む全ての人々が、神を知るために、神に造られた被造物であると知るために、あえて犠牲になって命を終えると言うものでした。
さらにその方は命を終えた後、神によって再び命を与えられ、復活させられました。それは全ての人々にも復活があることを伝え、信じてもらうためでした」
パウロはこのように真剣に語りました。
人を含む天地を創造された神であり、ギリシア人もユダヤ人も含む全ての民族はその神の子孫である。そしてその人々の身近にいるために神は一人の存在を遣わした。その存在は、人が神を信じるために、犠牲になり命を終えられたが、復活された。人に復活の命があることを知らせるために。
このパウロの話は、アテネの人々にとっては、新鮮で、はじめて聞く内容でした。そのために話を受け入れられず、信じられない人々も多く出てきました。
しかし逆にパウロの話が、本当であり、今の自分に必要なお話であったと感じる人々も現れたのです。そう言う人が「何人かいた」と言うのです。少数であったかも知れませんが、いたことが今日の箇所の最後34節で強調されています。
なぜ何人か現れたのか。
それは、おそらくパウロが、冒頭で触れました、神様とイエス様を語ったことで追放されそうになった、と言う経験を活かして、このアテネでは二の舞にならないために、工夫をして語ったからだったのです。
1つ目の工夫は、パウロは語った最初に、「アテネの皆さん、わたしはあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます」と言って、街の人々を受け入れることから始めています。先ずは受け入れる態度から始めた、と言うことです。
それから2つ目の工夫は、すでに「イエス」様と聞くだけで、否定的に思う人々がいたので、、、パウロは「イエス」様の名前を出さなかったことです。名前を出さず「一人の方」とか「その方」と言うにとどめていたことです。「その方は犠牲となられた。復活された」と言うふうにです。
さらにもう1つの工夫は、、、「(ギリシア人もユダヤ人も含む)全ての民族は神の子孫である。仲間である」と強調したことです。
「わたしたちとあなた方は違いますよ」と言う話の展開ではなく、「同じ仲間ですよ」と言う展開でした。
これらの工夫があり、パウロは上手くやり退けたのです。
もちろんパウロがどう言う状況でも語るのを諦めなかったこと、「折が良くても悪くても語った」と言うこともあるのですが、今回の場合は工夫が際立っています。
その中でも、アテネの人々、ギリシア人たちのことを先ずは認めて、そしてユダヤ人と違わなくて仲間である、とした工夫が大きかったと思うのです。
同じ神の子孫であること、仲間であること。
パウロは宗教が違う、と言うことに注目して、終わるのではなく、違っても、違う民族であっても、共通点を探してゆく積極性があったのです。
その姿勢は、イエス様にもありました。そして聖書の神様が望んでおられる姿勢でもあるのです。
宗教が違えど、民族が違えど、積極性があり受け入れていくと言うこと。
今の時代で言えば、ユダヤ人でも、イラン人でも、仲間であることです。
お祈りいたします。
牧者の祈り
天の神様、あなたの導きをいただき、わたしたちは1週間を過ごすことができました。あなたに感謝申し上げます。わたしたちはそれゆえに体調の思わしくない人のことを思ってあなたの導きがあるように祈ります。
Iさんは体調を崩され自宅で療養されています。どうか回復をお与えください。またI家の皆さんをお守りください。
教会近くのKさんがご病気で入院されていましたが、回復され退院されたと伺いました。嬉しい知らせでした。ご夫妻でいつまでもお元気で過ごせますように、導いてください。
ご近所で一人暮らしをされている人がいます。また日中、お一人で過ごしている人がいます。どうか心身ともに健康でありますように、導いてください。
昨日は、Yさんのご召天日を覚えて、お嬢様ご夫妻がお越しくださいました。Yさんがお好きであったお花を植えてくださいました。Yさんは治さんと天国でお花に囲まれて過ごしておられます。
Yさんの大切にされたことを受け継いでゆきます。自然を大切にして歩みます。
次週は部落解放祈りの日礼拝です。部落差別をはじめ様々な差別がなくなりますように、祈ります。差別を受けた人が、その受けた傷から回復しますように、祈ります。
最後に、中東、アジア、ウクライナ、ロシアの平和を願って祈ります。同じ仲間であることを人々が知りますように、祈り合う仲間であるように、願います。
この小さなお祈りをイエス様のお名前によって、お捧げいたします。
アーメン。
一人ひとりの祈りの時を持ちましょう。(しばらく黙祷しましょう。)
神さま、わたしたちの祈りを聞いてください。このお祈りをイエス様のお名前によって、お捧げいたします。 アーメン。
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