説教 マタイによる福音書 17章 1~13節 「恵ある将来のために」
- 西川 幸作
- 3月31日
- 読了時間: 8分
更新日:4月6日
説 教 マタイによる福音書 17章 1~13節
「恵ある将来のために」
朝、散歩をすることを日課にしています。ちなみに、このことは以前も少し説教の中でお伝えしました。その時はまだ散歩を初めて間もなかったのですが、この散歩が日課として定着しつつあります。
散歩する時間帯は夜よりも朝にこだわっています。それは何故かと言いますと朝の太陽の光を浴びたい、と言う思いからです。
では何故太陽の光を浴びたい、のかと言いますと、科学的に言いますと、その光を浴びることでセロトニンという物質が与えられるからです。このセロトニンとは辞書によりますと「脳内の神経伝達物質のひとつで精神を安定させる働きをする」とあります。その通り、生きるのに大切な精神の安定が与えられるのです。
散歩して光を浴びることで幸福感が与えられる、とわたしは思っています。
今日の聖書の箇所、マタイによる福音書17章1節以下では、イエス様の「顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」と記されています。
では、このイエス様の太陽のような光輝く姿とは何なのでしょうか。
なぜ輝いているのでしょうか。ご一緒に考えてゆきましょう。
舞台はおそらくガリラヤ地域で、そのどこかの高い山です。そこにイエス様はペトロ、ヤコブとその兄弟ヨハネの3人を連れて登られました。
イエス様が彼らを連れて行く目的は何かと言いますと、先程言いました、イエス様が光輝く姿になる場面を見せたかったからです。
3節以下に、イエス様の姿が変わった後のことが記されています。
「(弟子たちが)見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた」
さらに5節に「光輝く雲が彼ら、イエス、モーセ、エリヤを覆った」とあります。
モーセはご存知の方も多い存在です。旧約聖書の時代、イスラエルの人々がエジプトから脱出する際に、神様がモーセを選んで、預言者として人々を導いて行った人です。シナイ山という山で神様から「十戒」を与えられる際、神様は雲に覆われていた、とあります。
それからエリヤというのは、イスラエルの人々が王様のもとで生活を始めた後に誕生した預言者です。彼は「毛衣を着て、腰には革帯を締め」ており、当時、流行っていた別の神、異教の神を礼拝することに反対して人々に聖書の神様に立ち帰って礼拝しなさいと語った人です。そして最後、彼は嵐の中を、雲の中を天に上っていくのです。
この2人とも、神様によって立てられた預言者で、すでに過去の人ですが、天国で生き続けている、と聖書は語ります。
そしてイエス様は救い主として誕生し、すでに多くの人々の救いのために活動してこられました。このイエス様の元に、天国から先程の2人がやって来たのです。
いや、天国から2人がやってきたというよりも、むしろ、この高い山のこの場所が一時的に天国に変化した、というのが正しいのかも知れません。ここでイエス様は太陽のように輝き、光のように白くなり、そしてここに光輝く雲が現れたのです。
ここで一緒について来ていたペトロはこの姿を見て、このような提案をします。4節です。
「主よ、イエス様、お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を3つ建てましょう。イエス様、モーセ、エリヤのためです」
一見すると、ペトロは『素晴らしい提案をした』と思えるのですが、しかし彼が何故このような提案をしたかを察すると、おかしさ、間違い、が見えてきます。
先ず一つは『わたしペトロが建てたい』ということであって、イエス様の望みではなかった、ということ。
もう一つは、ペトロは自分が建てることで、一躍有名になろうとしていないか、です。
よってこのペトロの提案は実現されませんでした。神様はそのような、おかしさ、間違いを、見抜かれ、拒んだ、ということです。
そして話は続いてゆきます。
先程の3人を覆っていた雲の中から、このような声が弟子たちに聞こえて来ました。5節です。「これは、わたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」
この「雲の中から」の声は誰の声か、を問いたいのですが、この声は、別の聖書の箇所に記されている声と似ています。
それはイエス様が洗礼を受ける箇所です。3章17節です。
「イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。そのとき、『これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』と言う声が、天から聞こえた」
この洗礼の場面では、天からの声ゆえに、神様の声、と分かります。そして今日の箇所と読み比べますと、「これは、わたしの愛する子、わたしの心に適う者」という内容が、ほぼ一致しています。
そうすると、今日の箇所の声は神様の声ということです。
神様は「イエスはわたしの愛する子であり、わたしの心に適う者である。ゆえにこのイエスの声にあなた方は聞きなさい」と命じられているのです。
弟子たちは、神様の声を直接聞いたことはありませんでした。今回が初めてでした。そしてこの光輝く天国も初めて見たのです。
この時、弟子たちは、旧約聖書に書かれている、神様の姿を見たものは生きることができない、という聖句を思い出したのでしょう。出エジプト記33章20節にこうあります。「あなた(モーセ)は(神である)わたしの顔を見ることはできない。人はわたし(神)を見て、なお生きていることはできないからである」
ですので今日の箇所では、神様は雲の中におられて人から見えないようになっていたのです。
しかし、そうであっても弟子たちは焦ったと思うのです。
『わたしたちは天国を見た』と。そして見たと同時に恐れが生じてきたのです。6節にある通りです。「非常に恐れた」のです。
ここで少し思い巡らしたいことがあります。
天国は生きたままではなく、死んでから入ることができるところです。ということから、わたしたちが、天国について考えたり、想像したりするということは、イコール、死ぬということを考え、想像するということになりませんでしょうか。
そうしますと、自ずと恐れが生じてきます。死ぬことの恐れです。
別の観点から言いますと、、、朝、太陽の光を浴びて散歩するのは、将来も健康でありたいからですが、もう一つ踏み込みんで言いますと、病気になることへの恐れからです。
この恐れ、『死ぬのが怖い』だとか『死んで終わりなんて恐ろしい』という恐れから解放されたいために、天国を想像する、復活して天国で歩み続ける、と考え、想像するのではないでしょうか。
弟子たちは天国を見たのですが、それは同時に死への恐れを抱いたということです。
話を聖書に戻します。弟子たちは非常に恐れました。
それなら、弟子たちの立場に立って考えるなら、非常に恐れるくらいなら、、、『天国なんて見ない方が良かった』、イエス様に付いてきたけど、付いてこない方が良かった』ということになります。
しかし実は、この恐れ、で終わらなかったのです。
イエス様が彼らを連れてきた本当の目的は、、
イエス様は自ら弟子たちに近づいて、彼らに手を触れて「起きなさい。恐れることはない」と言われました。これはイエス様の大きな歩み寄りです。言い換えると、恐れて震えている小さな子を、ゆっくりと抱いて「もう安心、安心」となでているような感じです。大(だい)の大人の弟子たちですが年齢関係なく『恐れていた』ゆえ、イエス様が温かく歩み寄ってくださった場面です。
イエス様が言わんとしていることは以下のことです。
“あなた方には、死で終わらない、恵みある将来があるから。
それは死を乗り越え、復活するということ。わたしがまもなく死んで復活するように、あなた方もそうなる。そしてこの太陽のように光輝く場所、天国にわたしが行くように、あなた方も将来、この天国に入ることができる。
この世では死への恐れをどうしても抱いてしまうが、天国では、二度と、決して恐れることはない。ゆえに、今、この地上での日々は、弟子たちのように、将来、天国に入れると思っていても恐れがあるが、
しかし、恐れながらも、恐れることはないのだ!というイエス様のメッセージです。
お祈りいたします。
牧者の祈り
天の神様、あなたの導きをいただき、先週も歩ませていただきました。あなたに感謝申し上げます。あなたの導きをいただき、こうして歩むことが許されています。そんなわたしたちは身近な大切な人々のことを思って祈ります。どうか病を癒してください。
教会員、関係者を思って祈ります。
Iさんの誕生日を迎えました。あなたによってこの世界に誕生され、歩んでこられました。今はご病気を抱えられデイサービスにも行かれる日々ですが、それでも、できることをされて、歩んでおられます。神様どうか、Iさんを祝福してください。
3代目の牧師である小暮光司牧師の連れ合いさんより便りをいただきました。お元気なご様子でした。中濃教会の前の坂祝教会の時のことを書いてくださり、小暮牧師のお母様のことも書いてくださっていました。今も、教会のために祈ってくださることにあなたを通して感謝申し上げます。
今日は日本国際ギデオン協会岐阜支部の皆様がお越しくださっています。聖書を無料で贈呈され、悩みを抱える子どもから大人まで、その心の支えを与えておられます。まさにイエス様の弟子として、ギデオンとして働いておられます。わたしたち中濃教会にとって、その活動は励みになり、良きアドバイスとなり、慰めとなります。神様、あなたを通して、感謝申し上げます。
ミャンマー、タイにて大きな地震が起こりました。多くの尊い命が失われ、被災者がおられ、心が痛みます。わたしたちは特に外国の人々のことを思って祈ることを大切にしてきました。今、祈らせてください。何とか生きることができた人々の命が守られますように、犠牲となられた人の魂を平安に、そのご家族を平安に、導いてください。
この小さなお祈りをイエス様のお名前によって、お捧げいたします。
アーメン。
一人ひとりの祈りの時を持ちましょう。(しばらく黙祷しましょう。)
神さま、わたしたちの祈りを聞いてください。このお祈りをイエス様のお名前によって、お捧げいたします。
アーメン。
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