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2025年5月14日(水)聖書研究会(ヨハネの黙示録を読む会) ヨハネの黙示録 20章1〜6節   

聖書本文


 わたしはまた、一人の天使が、底なしの淵の鍵と大きな鎖とを手にして、天から降って来るのを見た。この天使は、悪魔でもサタンでもある、年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき、底なしの淵に投げ入れ、鍵をかけ、その上に封印を施して、千年が終わるまで、もうそれ以上、諸国の民を惑わさないようにした。その後で、竜はしばらくの間、解放されるはずである。

 わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。これが第一の復活である。第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。


まとめ

 前回は19章11〜21節を見てきました。獣と表現されたローマとそのローマに追従する地上の王たち、また偽預言者たちが、白い馬に乗った救い主イエスと天の軍勢にに捕えられ滅ぼされるという内容でした。今回はこの続きの内容となります。


 わたしはまた、一人の天使が、底なしの淵の鍵と大きな鎖とを手にして、天から降って来るのを見た。



 ヨハネは天から一人の天使が降ってくるのを見ます。この天使は「底なしの淵の鍵」と「大きな鎖」を手にしていました。「底なしの淵」とは9章1節に「底なしの淵に通じる穴」という言葉があり、これと同様のもので、その9章には、「穴」には煙が充満し、いなごの群れが住んでいる、と記されています。さらに煙もいなごも地上に解放され、救い主を信じる者以外に害を与える、と記されています。

 天使はこの「淵の穴を開ける鍵」、煙といなごを閉じ込めている穴の鍵を持ち、さらに「大きな鎖」をも持っていました。このような姿である天使は、後の箇所の内容から、ローマに対して神の代わりに判決を執行するような役割を担っているとされています。

 

2〜3

 この天使は、悪魔でもサタンでもある、年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき、底なしの淵に投げ入れ、鍵をかけ、その上に封印を施して、千年が終わるまで、もうそれ以上、諸国の民を惑わさないようにした。その後で、竜はしばらくの間、解放されるはずである。


 天使は自前のローマとされる「サタン」、「蛇」、「竜」を大きな鎖で捕えます。そして「千年の間」も縛って底なしの淵に投げ入れて隔離しておく、と言うのです。これはローマが滅ぼされ、支配者は縛られ淵に投げ入れられて隔離されることで、支配されていた人々が解放されることを表しています。さらに「千年の間」とは厳密に一年の千倍の期間という厳密なものではなく「長きに渡る期間」のことのようです。ただこの解放され続ける期間はやがて終わる、とされています。


 わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。


 次にヨハネは座に座っている者たちを見ます。おそらくこの場面は天国と想像します。この天国の座に座る者たちには、12節にある言葉も含めて考えると「行いに応じて裁く権利」が与えられていたと言うのです。

 ヨハネはさらに、イエスのことを人々に伝え(証し)、神の言葉を人々に伝えたことで殺された者たち(殉教者)の魂を見た、と言います。弟子として活動し歩んだがためにローマによって殺された者たちのことです。しかし彼らは生き返り、救い主と共に、長きに渡って平安に過ごした、と言うのです。


5〜6

 その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。これが第一の復活である。第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。


 ヨハネは、生き返る殉教者たちのことを「幸いなる者」、「聖なる者」、さらには「神とキリスト(救い主)の祭司(=神とキリストに仕える祭司)」と言います。さらにこの者たちは長きに渡ってキリストと共に歩むことができる、と言うのです。一方で「その他の死者」である殉教へと追いやる側の人であり後に死んでいった者、死んでいった支配者たちは、長きに渡って生き返らず死んだままであった、と言うのです。


 今日の箇所では、神とキリスト(救い主)を信じて歩んだ殉教者は、復活の命に預かることができる、一方で支配者たちはそうではなく死を経験し続けることになる、と対照的な内容が示されています。神と救い主は、どちらの側の味方か、救いはどちらにあるのか、考えさせられます。

 
 
 

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