2026年6月17日(水)聖書研究会(ローマの信徒への手紙を読む会) ローマの信徒への手紙1章1〜7節
- 西川 幸作

- 18 時間前
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聖書本文
1キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、2この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、3御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、4聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。5わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。6この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。――7神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
まとめ
1〜7節は手紙の書き出しとして挨拶的な文面となっています。著者は「パウロ」(1節)で神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たちへ(7節)書き送る、という設定です。パウロは発信者と受信者を明確に示していますが、これは紀元前の時代から受け継がれてきた手紙の書式で、これを真似しています。
そして手紙の内容としては、福音が記され(2節)、その福音は具体的には御子であり神の子である主イエス・キリストのことである、とし、福音の書としていったのでした(4節)。
ここで文面を分けて確認してゆきます。
1キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、2この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、3御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、4聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。
1節でパウロは発信者はパウロ1人とし同労者の名を連ねてはいません。例えば同じくパウロが書いたとされているコリントの信徒への手紙一では「パウロと、兄弟ソステネから」と連名になっていますが、ここではパウロ1人となっており、彼の個人的思想が語られていることが読み取れます。
そのパウロは自身のことを「キリスト・イエスの僕であり、(神によって)選び出され、召されて使徒となった」と表現しています。「僕」とは旧約聖書では神を信じる者、神に従って歩む者のことで、ここでは「イエス・キリストを信じて従って歩む者」ということです。「選び出され、、召された」者であると言うことは、自分自身の決意や、勝手な思い上がりではなく、直接神様から召命を受け「使徒」となった、ということです。
そしてパウロが2節で記した「福音」と言う言葉は、今初めて記されるものではなく、旧約聖書に登場する預言者たちが既に語り継いできた言葉であり、パウロはそれをしっかりと引き継いで、語っていくことになります。。旧約の「福音」があり、新約のイエス・キリストに関する「福音」がある、という流れです。
そして3節以降では、その「福音」の内容が記されています。この「福音」とはまさに「イエス・キリスト」である「御子」のことだ、と言います。そして、その「御子」とは「肉」と「聖なる霊」を両方伴っている存在である、と記しています。
この「肉」とはこの世に生まれ育った人間のことで、ダビデの子孫であり、人間関係の中に存在している、ということです。また「肉」は不完全さ、無常さ、そして神様からかけ離れた罪の状態をも意味しています。パウロは、イエス・キリストもこの「肉」の存在であると語るのです。
しかしイエス・キリストは同時に聖なる「霊」をもつ存在でもある、と言うのです。「肉」だけであれば死んで終わりですが、「霊」をも備わっているゆえに、体は復活し、「神の子」とされる、と言うのです。「霊」によって復活し「神の子」となるのです。その時には「罪」に勝利し、「罪」はなくなっている、とも言います。
人の中にある「肉」は「霊」によって消える、「霊」は「肉」に打ち勝つ、と言うことです。
5わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。
パウロは、自身をはじめ使徒とされた人々はイエス・キリストによって罪、「肉」の存在であったが、恵みを受けて使徒へと変えられた、と語ります。
そして使徒としてどのような目的が与えられているか、を示します。
それは「この方」であるイエス・キリストの御名を広めると言うものであり、さらに「すべての異邦人」、すなわちユダヤ人以外のすべての人類に、イエス・キリストを伝え、神様を信じる信仰者へと導く、神様への従順へと導く目的ことです。
6この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。
5節にあった「すべての異邦人」の中にローマに住む人々、つまりこの手紙を受け取る人々も含まれている、と語り、その人々はイエス・キリストを信じるものとなる、つまり「霊」の人となれる、とパウロは語ります。
――7神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
この箇所にある「聖なる者」と言う言い方はそもそも旧約聖書の頃からなされてきました。神から選ばれた祭司のグループや、信徒たちの集いがそう呼ばれたりしてきました。これらと同じように、ローマの信徒たちも選ばれた人々となり、「聖なる者」と位置付けられてゆく、と語るのです。
最後に
パウロはローマの人々も同じ仲間として、神様とイエス・キリストを中心とした信仰者とみなし、関わっていこうとされます。ここに、彼の共に歩もうとする仲間意識があります。わたしたちもその仲間に加えられていること、そしてパウロがしたように、仲間が増えることを望んでゆきたいと思うのです。すべての人が恵みを感じられる人生を過ごせますように、願います。

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