2026年6月9日(水)祈祷会
- 西川 幸作

- 5 日前
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聖書静聴・黙想 民数記 13章 17〜33節(旧約234頁)
(聖書箇所に静かに聴き、黙想する)
モーセは、彼らをカナンの土地の偵察に遣わすにあたってこう命じた。「ネゲブに上り、更に山を登って行き、その土地がどんな所か調べて来なさい。そこの住民が強いか弱いか、人数が多いか少ないか、彼らの住む土地が良いか悪いか、彼らの住む町がどんな様子か、天幕を張っているのか城壁があるのか、土地はどうか、肥えているかやせているか、木が茂っているか否かを。あなたたちは雄々しく行き、その土地の果物を取って来なさい。」それはちょうど、ぶどうの熟す時期であった。彼らは上って行って、ツィンの荒れ野からレボ・ハマトに近いレホブまでの土地を偵察した。彼らはネゲブを上って行き、ヘブロンに着いた。そこには、アナク人の子孫であるアヒマンとシェシャイとタルマイが住んでいた。ヘブロンはエジプトのツォアンよりも七年前に建てられた町である。エシュコルの谷に着くと、彼らは一房のぶどうの付いた枝を切り取り、棒に下げ、二人で担いだ。また、ざくろやいちじくも取った。この場所がエシュコルの谷と呼ばれるのは、イスラエルの人々がここで一房(エシュコル)のぶどうを切り取ったからである。四十日の後、彼らは土地の偵察から帰って来た。パランの荒れ野のカデシュにいるモーセ、アロンおよびイスラエルの人々の共同体全体のもとに来ると、彼らと共同体全体に報告をし、その土地の果物を見せた。彼らはモーセに説明して言った。「わたしたちは、あなたが遣わされた地方に行って来ました。そこは乳と蜜の流れる所でした。これがそこの果物です。しかし、その土地の住民は強く、町という町は城壁に囲まれ、大層大きく、しかもアナク人の子孫さえ見かけました。ネゲブ地方にはアマレク人、山地にはヘト人、エブス人、アモリ人、海岸地方およびヨルダン沿岸地方にはカナン人が住んでいます。」カレブは民を静め、モーセに向かって進言した。「断然上って行くべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます。」しかし、彼と一緒に行った者たちは反対し、「いや、あの民に向かって上って行くのは不可能だ。彼らは我々よりも強い」と言い、イスラエルの人々の間に、偵察して来た土地について悪い情報を流した。「我々が偵察して来た土地は、そこに住み着こうとする者を食い尽くすような土地だ。我々が見た民は皆、巨人だった。そこで我々が見たのは、ネフィリムなのだ。アナク人はネフィリムの出なのだ。我々は、自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にもそう見えたにちがいない。」
西川の静聴・黙想
出エジプトの旅の途中、カナンの地を前にして、モーセは一つの政策を打ち出します。それはカナンの地へ、斥候(せっこう)と言う偵察隊を派遣することでした。
実際に、カナンの広い範囲に以下の12の部族から複数人の斥候が派遣されました。ルベン族に属する斥候、シメオン族に属する斥候、ユダ族、イサカル族、エフライム族、ベニヤミン族、ゼブルン族、ヨセフ族(マナセ族)、ダン族、アシュル族、ナフタリ族、ガト族(4〜15節)。ちなみにこの12部族はイスラエル民族の先祖アブラハムの子イサク、そのイサクの子ヤコブ、そのヤコブの12人の子どもの子孫にあたります。
彼らは死海の西側辺りを中心とし、北はガリラヤ湖よりも北部までを偵察したと考えられます。特に死海西側にあるヘブロンの街を偵察していますが(22節)、この街は先程のアブラハムとその妻サラ、イサクとその妻リベカ、ヤコブとその妻レアが埋葬されている街でした。つまり民族にとっては切ってもきれない大切な場所ゆえ、偵察しその後に獲得する必要を感じていたのです。
ところが、斥候がモーセの元へ戻って来て行った報告は、「ヘブロン含むいずれの街も城壁に囲まれ、大層大きく、他民族であるアナク人やアマレク人、ヘト人などの民族が定住しています」と言うものでした(28〜29節)。イスラエル民族が攻めたところで勝利し街や土地を奪えるようなものではない、ということでした。
そこで、ユダ族の斥候であったカレブと言う人が、モーセに以下のように進言します。「(それでも)断然上って行くべきです。そこを占領しましょう」と(30節)。
しかし、この攻めることに積極的な意見の一方、先程のような逆に攻めるのを辞めた方が良い意見(31節)もあり、双方が対立してしまいます。さらに、攻めない意見の人々が過大に自己主張することとなって(32〜33節)、結局は攻めない選択をすることとなってしまったのでした。
この躊躇によって、イスラエル民族は40年も荒れ野を彷徨うこととなったのです。
今回の箇所を通して考えさせられることは、選択することの難しさです。その選択は正しい知識の上で行っているのか・・。また事前に準備をすること(今日の箇所では「偵察する」)の大切さ、をも考えさせられます。
特にこの準備することが民族の生死を分けることに繋がると考えると、改めて、人の思いだけではなく神の思いをも祈り求める心の準備の必要性を感じます。

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